【2杯目】ラーメンは北海道生まれ⁉【歴史】

人気店の冷凍ラーメン通販「北海道屋台」です!

さあ、いよいよラーメンの話、始めていきますよ。

今回は歴史の話について。

 

あっ、戻るボタン押さないで!

歴史とは言っても学校の授業のような

バリカタやハリガネレベルでの硬い内容ではないので、

構えず、気楽に。

最後まで読んでいただけると大変ありがたいです。

 

好きなものっていうのは、ハマればハマるほど

背景とか周りとか、広く深く知りたくなりますよね。

例えば野球であれば、選手のルーツやドラフトの同期だったり

ドラマなら主役の俳優が過去どんな作品に出ていたか、とか。

 

皆さんはラーメンがいつ、どこで生まれたか気になりませんか?

実はラーメンと北海道って、切っても切れない麺があるんですよ。

…間違えました。縁があるんです。

 

 

ここで問題。日本で初めてラーメンを提供したお店は?

 

と問われて即答できたら尊敬しちゃいます。

以前は淺草の來々軒が1910(明治43)年に提供したというのが定説でしたが、

そこからさかのぼること26年前、既に提供していたお店があったんです。

 

 

 

 

 

それも函館に。

 

実は「養和軒」という中華料理店で1884(明治17)年に出されたのが最初ではないかと言われています。

鎖国が終わって函館が開港されると、

まちに華僑(中国国籍を持ったままの中国人)が多く住むようになり、同店がオープン。

このころはまだ「ラーメン」という名称はなく、

「南京そば」と呼ばれていました。

“ではないかと言われています”と断定的ではないのは、

当時の詳しい資料がほとんどなく

証拠となりうるものが函館新聞に掲載された広告だけだから。

そのため「スープがあって」「具が入っている」、

私たちの知るラーメンと同じかどうかは定かではなく、

諸説あるうちの一つになっているようです。

 

では、いつからラーメンと呼ばれるようになったのでしょう。

 

それは、1922 (大正11) 年のこと。

とある食堂では「肉絲麺(ロースメン)」というメニューが人気だったのですが

知ってか知らずか「支那そば」と呼んで注文する日本人が多かったのだそう。

当時、支那というのは日清戦争以降の中国の蔑称で、それに心を痛めたおかみさんが、

覚えやすく親しみを感じてもらえるような、新しい名前を考案することに。

中国人料理長が言う「好了(ハオラー=できました)」の「ラー」と、「拉麺」の「拉(引っ張って麺を作る動作)」、「肉絲麺(ロースメン)」の「麺」をかけあわせ、「拉麺(ラーメン)」と名付けて広まったんだそうですよ。

 

その食堂というのが、なんと札幌にあった「竹家食堂」というお店なんです。

 

これはもう名実共に「はじまりは北海道」ですね!

…興奮して300枚くらいしか売れないCDのタイトルみたいなことを口走ってしまいましたが、

ラーメンに携わる道民として、

ラーメンが北海道生まれだと言っても怒られない程度にはネタがそろっていることに

ちょっとだけ誇らしさを感じるんです。

 

港町函館から始まった北海道のラーメンの歴史。

徐々に道内各地へ広まっていきますが、戦争の影響などもあり、

今のようにラーメンが定着したのは戦後になってからなんです。

当時は物資に乏しく、食べるのもままならない時代。

美味しいうえに安い材料で栄養が取れるラーメンは、まさにうってつけでした。

加えて、北海道は皆さんご存じの通り、冬は極寒の地。

だからこそ、熱々で濃い味のスープが好まれ、

やがては北海道のラーメンの特徴になっていくのです。

 

こうして大衆に支持され道民に欠かせない食べ物となったラーメンは、

各地の風土に合わせた味が確立。

旭川の醤油(しょうゆ)、札幌の味噌(みそ)、函館の塩(しお)と、

それぞれの地に根付き、北海道三大ラーメンと呼ばれるようになりました。

そして現在では釧路と室蘭を加えた五大ラーメンとも言われ、新たな歴史が刻まれています。

 

いかがでしょうか、

北海道とラーメンの歴史についてご理解いただけましたか?

 

旭川に行ってみたいけど、なかなか機会がない

旭川ラーメンをまだ食べたことがない

既に旭川ラーメンのファンだという方、

大切な人に、あの店の味を届けたいという方、

ラーメンや北海道をこよなく愛するすべての方へ。

旭川から愛をこめて。北海道屋台がお送りしました。