人気店の冷凍ラーメン通販「北海道屋台」です!
突然ですが、皆さんは北海道三大ラーメンを
何で覚えましたか?(そもそもご存じないかもしれませんが)
ちなみに私は子供のころに見た
「行ったつもりで札幌函館旭川~♪」というCMでした。
はい、年齢がばれるネタですね。
でも、どうして
札幌=味噌
函館=塩
旭川=醤油
なのか、疑問に思ったことありませんか?
今回はなぜ札幌が味噌、函館が塩なのか
深堀りしてみたいと思います。
構えず、気楽に。
最後まで読んでいただけると大変ありがたいです。
きっかけは味噌汁。味噌好き店主が始めたラーメン
味噌ラーメンが誕生したのは1955(昭和30)年のこと。
「味の三平」というお店が、日本で最初に味噌ラーメンを提供しました。
歴史的な発明をしたのは、大宮守人(おおみやもりと)さん。
食糧難の時代でもお腹一杯食べることが出来て、
同時に栄養も摂れると、味噌汁に麺を入れたのがはじまりでした。
大宮さん自身が味噌好きだったことや
「おふくろの味=味噌汁」
というイメージがあり、大衆に受けるだろうと考えたそうです。
そこから試行錯誤を重ね、新メニューとして世に出るまで実に7年もかかったといいます。
また、「麺をゆでている間の手持ちぶさたが気になった」というのが、
炒めた野菜を具として加えたきっかけで、
安価なもやしを使いつつ、栄養バランスも考えたのだとか。
ちなみに、提供開始当初と現在では具が違うのですが、
今の形に落ち着くまでいろいろな具材を試したらしく、
一時期はピーマンが入っていたこともあるそうですよ。
味噌ラーメンがメニューに加わると
当時の人気雑誌「暮らしの手帖」に取り上げられ、知名度は全国区へ。
他のお店も続き、「札幌といえば味噌」というイメージが浸透していきました。
ちなみに、前回の話で登場した竹家食堂のラーメンは塩味がベースで、
色付けのために醤油を入れたスープだったらしいですよ。
源流の中国料理を色濃く残す塩ラーメン
一方、函館の「塩」はというと、
1854(安政元)年の開港までさかのぼります。
当時の函館には中国南部出身の華僑(中国国籍を持ったままの中国人)
が多く住んでいて、それに伴って中国料理の文化も入ってきました。
南部の料理はどれも塩ベース。
麺料理に使われるスープは、弱火で沸騰させない作り方だったため
あっさりした味で透き通っていたそうです。
現代の函館の塩ラーメンとあまり変わらない印象ですよね。
加えて、函館でとれる海産物のおいしさを引立てるのは塩味という考え方も手伝って
函館のラーメンに塩味が定着したようです。
豚骨ベースで脂分が少ない清湯スープという、
150年以上前とほとんど変わらない作りを継承し続けている感じが、
何というか、塩こそ原点にして頂点みたいな王道感がありますよね。
最後に旭川…と行きたいところですが、
もったいぶって次回に持ち越します(笑)
いかがでしょうか、
北海道とラーメンの歴史についてご理解いただけましたか?
旭川に行ってみたいけど、なかなか機会がない
旭川ラーメンをまだ食べたことがない
既に旭川ラーメンのファンだという方、
大切な人に、あの店の味を届けたいという方、
ラーメンや北海道をこよなく愛するすべての方へ。
旭川から愛をこめて。北海道屋台がお送りしました。