【4杯目】なぜ旭川は「醤油」?【味の原点】

人気店の冷凍ラーメン通販「北海道屋台」です!

前回はなぜ札幌が「味噌」で函館が「塩」なのか、

いつから始まったのかお話ししました。

 

 

今回は北海道三大ラーメンのラストを飾る旭川です。

私たちの地元、旭川ではなぜ「醤油」が定着したのか

現在に至る歴史をお話ししたいと思います。

 

構えず、気楽に。

最後まで読んでいただけると大変ありがたいです。

 

 

家庭の味、醤油をお店の味に

 

旭川の話をする前に

醤油ラーメンそのものの歴史について軽く触れたいと思います。

日本で最初に醤油ラーメンを提供したのは、浅草の来々軒だと言われています。

1910(明治43)年の開店以降、醤油ベースのラーメンは全国へ広まり、

喜多方ラーメンや佐野ラーメン、富山ブラック、和歌山ラーメンなど

独自の進化を遂げてきました。

 

その波は、やがて旭川にも。

戦前はラーメンを提供するお店が数店舗あったそうですが、

戦争の影響で一時は姿を消します。

 

これぞ旭川ラーメンといえるお店が表れたのは、

戦後間もない1947(昭和22)年のこと。

今なお旭川ラーメンの顔として名を馳せる、2店の誕生から始まりました。

 

そのお店とは、「蜂屋」と「青葉」。

どちらも観光系サイトのおすすめランキングで常に上位で名前が挙がる名店です。

動物と魚介のWスープ、たっぷりのラードなど、

現在まで続く旭川ラーメンの特徴を確立しました。

 

最大の特徴である醤油について、青葉の三代目店主、村山有一さん曰く、

創業当時は戦後間もないころで、食材なども豊富ではない時代。

それでも各家庭に必ずあったのが醤油で、

ラーメンスープを作った時に入れてみたところ、

ピタッと合ったそうです。

 

旭川ラーメンの醤油の歴史はこうして始まりました。

 

 

旭川ラーメンを支える重要なピース「日本醤油工業」

 

話はここで終わりません。

 

この歴史の裏には、欠かせない企業の存在があります。

それは、「日本醤油工業株式会社」。

キッコーニホンの名で知られる、旭川最古の醤油メーカーです。

 

実はこの会社、元々醤油ではなくお酒を造っていました。

旭川の最初の入植者鈴木亀蔵氏と笠原喜助・喜八郎兄弟が

1890(明治23)年に興した笠原酒造店が、その前身です。

 

転機が訪れたのは、大戦末期の1944(昭和19)年。

嗜好品のお酒ではなく、生活物資の醤油を作るよう政府に命じられます。

そうしてできたのが日本醤油工業株式会社でした。

 

この業態変換がなければ、もしかしたら旭川ラーメンは醤油ベースではなかったかもしれませんし、

もっと言えば、旭川ラーメンというジャンルすらなかったかもしれません。

 

広がり続ける旭川ラーメン

 

その後も、「特一番」や「天金」といったお店が開店し、

旭川ラーメンのお店は次第に増えていきます。

平成に入ると、1996(平成8)年には旭川ラーメンフードテーマパーク

「あさひかわラーメン村」が誕生。

その翌年には東京で旭川ラーメンブームが起こり、旭川ラーメン知名度が全国区になります。

「梅光軒」に至っては、2007(平成19)年に日本を飛び越え世界進出を果たしました。

 

こうして旭川=醤油ラーメンというのが広まりましたが、

おいしいのは醤油ラーメンだけではありません。

塩・味噌ラーメンの名店もちゃんとあるんですよ。

塩ラーメンでいえば、「山頭火」や「さいじょう」

味噌ラーメンなら、「よし乃」や「三平」も人気があります。

 

最近は更に多様なラーメン店が生まれ、

煮干しラーメンが人気で、ミシュラン北海道2017  “ビブグルマン” を獲得した「よつ葉」や

京都ラーメンをベースに旭川の要素を取り入れた「まよさわ」など、

旭川ではラーメンの幅も深さもどんどん広がっています。

 

 

いかがでしょうか、

旭川とラーメンの歴史についてご理解いただけましたか?

 

旭川に行ってみたいけど、なかなか機会がない

旭川ラーメンをまだ食べたことがない

既に旭川ラーメンのファンだという方、

大切な人に、あの店の味を届けたいという方、

ラーメンや北海道をこよなく愛するすべての方へ。

旭川から愛をこめて。北海道屋台がお送りしました。